「農場から棚まで(Farm to Shelf)」という言葉があります。
元々、食品業界で生まれた供給体制の概念ですが、今回、インタビューした吉田智賀子氏が目指すのは、それを医療用大麻の世界で実現することです。
『アストラサナ(Astrasana)』は、スイスに本社を持つ医療用大麻のスタートアップ企業。
Swiss Pharmaceutical & Cannabis Company
アストラサナ公式サイト
チェコ、イギリスにも拠点を展開し、日本では、吉田氏が『アストラサナ・ジャパン』代表取締役として市場を切り拓きます。
すでにスイス国内9カ所の薬局で医療用大麻を処方可能な体制を持ち、栽培からオンライン診療、処方箋まで1グループで完結する、ヨーロッパでも珍しい存在。
そんな『アストラサナ』の看板を背負い、スイス・チェコ・イギリス・日本を駆け巡る吉田氏の立ち回りは、まるで「医療大麻の外交官」です。
目次
国連のテロ対策専門家が現場で確信した逆説が、転身のきっかけ

吉田氏のキャリアは外務省に遡ります。
その後『JICA(国際協力機構)』を経て辿り着いたのは、なんと『UNODC(国連薬物犯罪事務所)』。
当時、世界の大麻樹脂押収率は、1位モロッコ、2位アフガニスタン、3位パキスタン。
そのパキスタンに、薬物対策を含むテロ対策専門家として赴任しました。
一方で、国連の報告書データが積み上がるほど、現場で違和感も積み上がっていました。
押収率は取締機関の実績を示す数字になります。
しかし、現場の法執行機関が向き合う課題は、大麻だけではありません。
より危険性の高い薬物やその前駆体、武器、不法物資、テロ資金、人身売買といった国境を超える深刻な問題は数多く存在します。
自生する大麻からつくられた樹脂/ハシシの規制に限られた資金と人員をどこまで投じるべきなのか、それは本当に最適なリソース配分なのか?
さらに禁止が逆効果をもたらす構造も目の当たりにしました。
禁止するほど、必要とする人が安全な製品にアクセスできず、管理されていないブラックマーケットに流れていくのです。
汚染された土壌から重金属や残留農薬を吸い上げた粗悪な原料、正体不明のサイコアクティブ成分が添加された製品、そしてそれら売買で得られた資金が犯罪組織やテロの資金源となる構図です。
規制の外に出るほど、消費者への危険は高まります。
2013年、CNNで放送されたドキュメンタリー『ザ・ウィード(The Weed)』では、ドラベ症候群のシャーロット・フィギーさんが高CBD製品で重篤な発作が劇的に改善した事例が世界に伝わります。
2018年、小児がんと向き合う子どもたちと家族を描いたドキュメンタリー映画「Weed The People」が公開されるなど、医療用カンナビノイドをめぐる社会的関心はさらに広がっていきます。
同年、『WHO(世界保健機関)』の専門委員会がCBD製剤や大麻関連物質の国際規制上の位置づけを見直すための評価を進めました。
CANNABIDIOL (CBD) Critical Review Report
世界保健機関
さらに2020年12月、『CND(国連麻薬委員会)』は、大麻を最も厳しい管理カテゴリーであるスケジュールIVから削除することを決定しました。
取り締まる側から変化と違和感を感じ取っていた吉田氏にとって、それは確信に変わる瞬間でした。
ちょうどその頃、イギリスでCBD事業を展開していた今のパートナーと出会います。
2018年、大麻を取り締まる側から大麻産業をつくる側へ。
年収が1/10なることも辞さない、180度の転身でした。
「禁止か?解禁か?」その議論を終えた世界の最前線に、吉田氏は立っています

ヨーロッパの大麻先進国、スイスでは、2022年8月1日以前、医師が患者に大麻由来医薬品を処方するために『FOPH(連邦公衆衛生庁)』への個別申請が必要でした。
しかし法改正により、医師の処方箋があれば届け出るだけで済むようになったのです。
制度のハードルが下がったことで、医療用大麻の普及余地が一気に広がりました。
今のスイスでは、CBD製品、医療用大麻、そして成人向け嗜好用のパイロットプロジェクトが運用されています。
チューリッヒ、バーゼル、ベルン、ジュネーブなど複数都市で、管理販売が公衆衛生や青少年保護に与える影響をデータで検証する試みが進んでいます。
「禁止か自由化か」の二択ではなく、「どう管理すれば違法市場を減らせるか」を問う最前線に、日本人の吉田氏は立っています。
自社ラインを分け、試験を仕掛け、規制の先を読む

日本では、2024年12月の改正大麻取締法・麻向法の施行にともない、国内では残留THC基準値が「0.1ppm〜10ppm(製品カテゴリによる)」と極めて厳格に定められました。
スイス本社の製造ラインを日本向けに完全分離し、東証プライム上場の『GSIクレオス』との資本提携もまとめた吉田氏だからこそ、この「厳格すぎる基準」の実態を冷静に見つめています。
「第三者の検査機関に調べてもらっても、10ppm以下や0.1ppmといった微量測定に関しては、ばらつきは避けられないと言います。この基準値は、スイスの検査機関などからみると、誤差の範囲と規制の境界線が重なっているようなレベルのようです」
吉田氏はこの規制を単なる厳しい法整備としてではなく、今後の制度設計を見据えた市場整理の一環として捉えています。
「将来的には、医療用としての活用をより明確に位置付けていく流れも考えられます。たとえば、ヨーロッパでは、CBDサプリメントへの規制が厳しくなる一方で、医療用大麻の制度上の整理が進み、市場が形成されています。日本においても、医療品としての大麻草の栽培や採取免許制度が設置されるなど、医療用としての市場の可能性を整理していく段階に入ったのではないでしょうか」
事実、日本でも製薬会社によるカンナビノイド医薬品の導入に向けた動きが本格化しています。
2026年4月、『ジャズファーマシューティカルズ(Jazz Pharmaceuticals)』と『日本臓器製薬』がCBDを有効成分とするてんかん治療薬『エピディオレックス』の日本展開に向けた契約を締結しました。
ジャズファーマシューティカルズと日本臓器製薬同社のカンナビノイド医薬品の日本における提供に関する契約を締結
参考:日本臓器製薬
「大手製薬会社が先行して取り組むことで、制度面や品質管理、安全性に関する議論が整理され、大麻由来成分に対する社会的な理解が進み、CBD市場や大麻草に対する誤解やアレルギーが、少しずつ変わっていく可能性があると考えています」
そう吉田氏は期待を寄せます。
まとめ

政府側として世界を渡り歩いた人物が、なぜ安定したキャリアから離れ、この業界に転じたのか。
答えは功名心でも投資計算でもありません。
「ライバルは多ければ多いほど良い。市場が拡大するということですから」
競合を出し抜くことより、市場全体が育つことを望む言葉です。
「『アストラサナ』や吉田という名前が知られることより、こういう選択肢があって助かった、家族が救われたと思う人が一人でも増えればいい。約30年前に当時17歳の末の弟が白血病で他界した時、私たち家族には抗がん剤治療以外の選択肢がなかったので」。
ヨーロッパで医療用大麻に関わる日本人の中で、吉田氏ほどのポジションに立つ人物はほとんどいません。
スイス・チェコ・イギリス・日本の4カ国を駆け巡りながら、供給体制の設計から現地規制の解釈、展示会での患者との対話まで自ら担います。
10年後を問うと、こう答えました。
「誰が何をしたかという功績ではなく、大麻由来成分によって助かる人たちに、必要な選択肢が普通に届けられる。当たり前の世の中になりましたね、と振り返れる未来を見たい。そのとき、一緒に笑って話せる仲間が一人でも多ければ、それだけで十分です」。
取り締まる側にいた人間だからこそ、規制を超えた先に何があるかを知っています。
その人物が今、産業の内側から業界の夜明けを仕掛けています。
| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 企業名 | アストラサナ・ジャパン株式会社 |
| 設立年 | 2023年 |
| 代表者 | 吉田 智賀子 |
| 所在地 | 〒131-0033 東京都墨田区向島3-22-2 |
| 事業内容 | CBDの輸入・販売 |
| URL | https://astrasana.co.jp/ |
シリーズ『世界の大麻侍』

21世紀、大麻・ヘンプ産業という名のカオス。
この不透明な業界で、それぞれの立場から、業界の夜明けを信じて戦うプロフェッショナルたちがいます。
彼/彼女たちの共通点は、その魂に、日本の武士道にも通じる誠実さと勇気を宿していることです。
本シリーズでは、世界中の最前線で活躍するプレイヤーを訪ね、大麻侍が守り抜く「信念の形」を解き明かしていきます。
本記事は、世界の大麻ビジネスの実情をレポートするものであり、日本国内での違法薬物の使用、所持、栽培、売買等を推奨・助長する意図は一切ありません(THCを含む大麻製品は、日本の法令で厳しく規制されています)。





